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「考える」という言葉の発明は失敗。
「考えるの身体化」を目指すべき。
今日のこの記事は特に目的もなく、新年の挨拶のようなものですが、、、ところで「考える」ってなんでしょうね。
これは人間のどういう状態をそういうのか。
私はですね、この「考える」という動詞の発明は失敗だと思っているんですね。実体がないんです。考えるという活動は。学校の先生が「よく考えなさい」なんて言ったり「考える力」が重要と言いますが、ニュアンスではわかるし、自分でもたぶん「考えるという状態」はなんとなく体験しているのだけど、大切なわりに、実体がないのでその活動に対する給料はないんですよね。だから「考えている」はいいわけに聞こえてしまう。そう「考える」という活動の危うさ。考えるだけなら、地面を歩いているアリだって宇宙の始まりや自信の生涯について考えているかもしれない。人間も考えていたとしても、それを外在化できなければ、アリと変わりません。それに、「考える」には身体活動を伴いませんが、身体的活動をすればほとんど「考える」は伴います。だから、極端にいえば考えるより行動したほうが得です。
さて、何が言いたいかと言いますと、「考えるという状態」を分解し、明示的、具象化するかが人類の課題だと思っているということです。ブレインストーミングやマインドマップはその成果の一部と言えます。でももっと「考える」の外在化の方法、考えることの身体的な方法、身体化あると思っていて、ブレーンストーミングのようにイベント的ではない方法があると思うんですね。
クラウドとかインターネットはそういう意味じゃすごくよい手段になり得るし、ワイヤレスネットワークで接続された端末なんかは「考える」の身体化に貢献できそうです。
今は「考える」→「表現」という乖離が問題です。表現することが考えることと一体化すればもっと対話が魅力的になり、日常がアイデアにあふれる世界ができると思っています。なによりこれは楽しい世界だということです。自分の考えがとんでもなく伝えやすくなるわけですから。
"観察と記述 | 動いている世界をそのままに。 (via sagaraya)
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